留学エピソード

35歳独身女子が突然カナダ留学を決めた理由

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2005年10月、わたしは英語を学ぶためにカナダに渡航しました。

当時既に35歳。5月末で長かったサービス業の仕事を辞め、次は何をしようかな?とのん気に考えていたときのことです。

当時は今と違い、30代の大人が留学することに対して世間の目はもっと厳しかったと思います。

わたしも周りに否定的なことをたくさん言われました。もちろんそれ以上に応援してくれた人もたくさんいましたが、どちらかというと周りには驚かれた記憶があります。

今回は、なぜわたしが突然カナダに留学することを決めたのか、について書いていきたいと思います。

長年の憧れプリンスエドワード島へ退職記念旅行へ

わたしは赤毛のアンの大ファンです。

日本では1979年にアニメ放映があり、今でも名作として語り継がれていますが、当時9歳だったわたしは、それよりずっと前にアンの魅力にハマっていました。

きっかけは、母に勧められて読んだ本です。子供向けに編集されていたので、原作をフルで読んだわけではないのですが、アンの性格や、考え方、何より出てくる食べ物が美味しそうで、その魅力にどっぷり浸かっておりました。

物語の舞台は、カナダにあるプリンスエドワード島です。

どこにあるのかもわからない、遠く離れた地に、いつか行ってみたいと思っていました。今のようにネットもない時代です。兄が見せてくれた実際のグリーン・ゲイブルズ(アンが暮らす家のモデルになった家)が載った本の写真を見て、その家が実在することに感動したのを覚えています。

旅行の時に撮ったグリーン・ゲイブルズ(2005年6月)

1998年に転職をしたとき、次の仕事が決まる前にプリンスエドワード島旅行を計画していたのですが、すぐに転職先が決まったためその時はあきらめました。

それが、7年後にその会社を去ることとなり、ついに憧れのプリンスエドワード島旅行が実現することとなったのです。

旅行は素晴らしかったけど、英語が・・・!

旅行には、高校時代の友だちと行きました。

特に赤毛のアンのファンでもなかったのに、わたしのやりたいこと、行きたいところにただ付き合ってくれた友達には本当に感謝しています。

帰国後に突然留学すると言い出したときには本当に驚かれましたが😅

マリゴールド
マリゴールド

プリンスエドワード島に行く前に、ノヴァスコシア州にあるハリファックスという小さな港町に寄りました。

日本からのツアーでは、ハリファックスに数泊(ハリファックス・ペギーズコーブ・ルーネンバーグを観光)、プリンスエドワード島に数泊、という流れが定番ツアーでした。

時期は6月。まだ少し寒いカナダは空気が澄んでいて、何も見ても美しく楽しかったです。

アンの物語にも出てくる、りんごの花を見れば「よろこびの白い道」だと興奮。

シャーロットタウンのりんごの花

道端に咲く鈴蘭を見れば、アンがレドモンド大学を卒業した時に胸につけた、ギルバートから送られた鈴蘭の花を思い出してまた興奮。

サマーサイドで見た鈴蘭

まぁ・・・とにかくアドレナリンが出っぱなしの旅行だったわけです。

(旅行についてはまた別で書きまーす!)

しかしながら、旅行中に気づいたことは、自分の英語がぜんぜんダメだという悲しい事実。

別に英語をがんばっていたわけでもないし、最低限のことは伝えられるので恥ずかしく思う必要もなかったのですが、その時の自分は「英語ができない」ことを心から残念に思ったのです。

来たよ来たよ、コーヒーを頼んで◯◯が出てくるあれが

日本人の英語できないあるあるとしてよく語られるのが、「コーヒーを注文したのにコーラが出てくる」エピソード。

それを自分が体現してしまったのです。

うそ〜ん💦

最終的に、これじゃなくてコーヒーが欲しいとがんばって伝えてコーヒーをもらえたのですが、すっごく恥ずかしかったです・・・・。

さらに、プリンスエドワード島のシャーロットタウンで入った、お土産屋さん、The Anne of Green Gables Store で売られていたエミリーシリーズのドラマ(映画?)のビデオテープ。

観たい・・・・。でももちろん日本語字幕なんてない。

さらにさらに、アン・ツアーで寄ったグリーンゲイブルズ博物館(Anne of Green Gables Museum)。たくさんの表示があるのに(当たり前だけど)みんな英語で読めない・・・。読めるけど意味がわからない。

さらにさらにさらに、キャベンディッシュ(赤毛のアンの舞台アヴォンリー村のモデルになった村)のB&Bで毎晩開催されていた小さなパーティ。参加しているのはほとんどが海外の人でアジア人なんていない。誰とも話せない。

そこでお会いした日本人の母娘。娘さんは米国の大学に留学中のことで、他のお客さんと楽しそうに英語で話している。その横で、英語のできない日本人は日本語で話す。

実際そのお母さまとお話しできたのはとっても楽しかったのですが、何となく「・・・・・・」と思うところがあったのですよね。

マリゴールド
マリゴールド

そのお母さまとはその後数回文通をしました。お元気かな?

留学を決めたきっかけ

1.自分の英語がダメダメで恥ずかしい
2.観たいものが観られない  
3.読みたいものが読めない
4.コミュニケーションが取れない

英語に真剣に取り組むフェーズがやってきた

上記のことが重なることにより、わたしはカナダ旅行が終わる前に、密かに留学を考え始めていました。

そして帰国してすぐに、今はもう無い「地球の歩き方 成功する留学 カナダ編」を買い求めて、情報収集を始めたのです。

「ちょうど失業中だし、時間はあるし、留学して英語をがんばってみよう!」

安直といえば安直ですが、そんな流れで留学を決めました。

思えばそれまでの人生でも、「英語がんばりたい波」というのは定期的に来ていました。

たいていは海外旅行から帰った後で、1999年のロンドン旅行の後が特に激しかったです。

英語学習の本を買って、通勤中にカセットテープで聞きまくる。

フレーズを覚える。

そして、いつの間にか「英語をがんばりたかった」こと自体を忘れる・・・。

そんなことを繰り返していました。

えへへ〜あるあるですね

しかし、今回は違います。環境を変えて、本気で英語を打ち込むことを決めたのです。

留学を決めたもうひとつの理由は日本にうんざりしていたから

人によっては「え、そんなことで留学までする?」と思うかもしれません。

しかし、当時のわたしは、日本の同調圧力と、それに屈している自分にうんざりしていたのです。

2005年。パワハラ・セクハラが今ほど問題視されておらず、特に「30代ミドル、独身、子どもなし」について必要以上にいじられることが多かったです。

特に直前に辞めた企業の偉い(人間的には偉くもなんともない)オジサン達に、散々なことを言われ続けていました。

「結婚していない人はどこかひねくれたところがある」
「自分の価値が年々落ちているのを自覚しているのか」

など、今では告発され、職を失ってもおかしくない発言が横行していました。

めんどうくさいのでいちいち相手にしていなかったのですが、とにかくそんな状況にうんざり(兄にも結構酷いことを言われていました。絶対に忘れない💢)。

正直、どこか遠いところに逃げたいという気持ちもあったのですよね。

留学を選ぶ人みんなが同じ心境ではないと思いますが、留学経験のある人に聞いてみると、似たような理由で留学を決めた人も少なくないと感じます。

どんな理由で留学するとしても、大切なのは留学した後のことなのでそれにどうこう言うつもりはありません。

「英語とかどうでもいいけど、日本無理」が留学の理由でも全然いいわけです。

留学で一発逆転を狙ったわけでもないのですが(実際そんなに簡単じゃないし)、「英語をがんばりたい」の後ろには、そんな気持ちも流れていました。

35歳が留学を決めた理由まとめ

以上、わたしが35歳になってから突然留学を決めた理由について書いてきました。

絶対に絶対にこれを成し遂げてやる!

とか

通訳者になりたい、翻訳者になりたい!

とか

国際機関に就職するんだ!

などの明確な目的や目標があったわけではありません。

「英語話せるようになりたい」「日本に疲れた」この2つで始まった留学生活です。

しかし、今となってはそんな風に決めた留学が、わたしの人生を大きく変えてくことになるのです。

そして、旅行で訪れたカナダ東部の街が、こんなに縁深い場所になるとは・・・。

それについてもどんどん書いていきたいと思います。

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